瓢箪から駒

きょう図書館で流し読みしたなかに、セレンディピティを「瓢箪から駒」と訳している人があり、このどうにもこなれないカタカナについて、ふっと(ある部分のみ)腑に落ちた気がしたものだ。

「意味のある偶然の一致」という説明で理解しようとしていたが、いかんせん長ったらしくてピンとこない。アイデンティティーを日本語でいえないようなもんだ。

何を言いたいかって、要は、図書館でその日借りてきた複数の本に、あるつながりがあったりするんではないかと、記録しておいたらそれはそれでいま・ここの自分の関心のありようを示すのではないかとおもうわけなのだ。

今日金町の図書館で借りた本は以下の通り。

イエズス会宣教師が見た日本の神々」
ゲオルク・シュールハンマー著/安田一郎訳
「煉獄と地獄」松田隆美
「パパの電話を待ちながら」
ジャンニ・ロダーリ著/内田洋子訳
「快絶壮遊〔天狗倶楽部〕明治バンカラ交遊録」
横田順彌
「詩を書く」谷川俊太郎