「なにか」本

錦糸町

「物語 ドイツの歴史」阿部謹也 260円
トクヴィル 現代へのまなざし」富永茂樹 108円
「私とは何か」上田閑照 108円
「いま哲学とはなにか」岩田靖夫 108円 ※ダブり
ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論高橋昌一郎 108円
「酒の肴・抱樽酒話」青木正児 410円
中島敦全集1」 560円
正法眼蔵随聞記」水野弥穂子訳 330円

ダイアリー/ブログ

はてなダイアリーどうやって新しい記事書くんだっけ?
久しぶりだったもんで、忘れちまったと自分の日々衰えゆく記憶力にまた直面させられていたが、なんだ、ダイアリーちかぢか廃止になるので更新できなくなってたんだった。

記事は勝手に移行するらしいが、暇だったら手動でやれと。

さて。
特に困ったことはないのだが、いちおうブログとダイアリーで使い分けてたので、どうしたものか。

ダイアリーは買ったものや借りた本などの、極めて私的な、世間にさらすほどのもんでもないメモ。

ブログはもう少し外向けといおうか、所感?ある程度まとまった考えを残しておく場所、という分け方をしていた(ように思う)。

(さらに私的な、恥ずかしい内的独白はまた別のプラットフォームに書いてたりもするのだが、それはまた別の話)

書いてて思ったが、紙ではない文章における句読点はどうするかとか、カッコの使い方とか、表記法まで含めていっかい整理する機会かもしれないなあ。

瓢箪から駒

きょう図書館で流し読みしたなかに、セレンディピティを「瓢箪から駒」と訳している人があり、このどうにもこなれないカタカナについて、ふっと(ある部分のみ)腑に落ちた気がしたものだ。

「意味のある偶然の一致」という説明で理解しようとしていたが、いかんせん長ったらしくてピンとこない。アイデンティティーを日本語でいえないようなもんだ。

何を言いたいかって、要は、図書館でその日借りてきた複数の本に、あるつながりがあったりするんではないかと、記録しておいたらそれはそれでいま・ここの自分の関心のありようを示すのではないかとおもうわけなのだ。

今日金町の図書館で借りた本は以下の通り。

イエズス会宣教師が見た日本の神々」
ゲオルク・シュールハンマー著/安田一郎訳
「煉獄と地獄」松田隆美
「パパの電話を待ちながら」
ジャンニ・ロダーリ著/内田洋子訳
「快絶壮遊〔天狗倶楽部〕明治バンカラ交遊録」
横田順彌
「詩を書く」谷川俊太郎

酒場の日常

北砂 山城屋酒場

しばらく姿を見せない常連に女将が電話
他の常連に促され
「死んじゃった?」
電話つながり、帯状疱疹だったと判明
「風邪はなおったの?」

治ったらおいで

杉並で火事のニュース
常連氏「あ、おれ住んでたとこだよ」

三福再訪

f:id:kongyoten:20170516170547j:plain

池袋三福で一杯。何年ぶりだろう。

引き戸を開けようとすると、店に戻るらしいお兄さんが「どうぞ」と先にいかしてくれる。友人だったかしら、と訝るくらい、よく知る顔なのだ。

おそらく10年はあいているのだが、かつて知る店内そのまんま。ん?フロアの女性がオール外国人なのは前からだったかな。

ビール大瓶はスーパードライ。ポテサラと串二本。
エッジのきいたレバ、タン。120円でこんなに大ぶりだったか。焼き物ばかり食っていたはずなのだが、あまり記憶になかった。うれしい再発見。

これも因果か、時はめぐりふたたび職場が池袋になった。

いいまちがい

朝、東武伊勢崎線。20代(?)の男女の会話。
女性のほうの、やけに断定的な物言いが耳障りできくともなくきいていた。
その、女性のことば。
「一語一句」

ああ、訂正したい。
近ごろやけに、文字、音声とわず、とにかく「ことば」が目に耳についてしかたがない。

夜、つれだって銭湯にきていた20代男性二人の会話。
「あいそうばし」

築地、月島、越中島…等々の地名がはさみこまれていたので間違いない。
相生橋でしょ、それを言うなら。
なかなか手がこんでいる。

なにより奇怪なのは、どちらのケースにおいても、きいている連れのほうが言い間違いにまったく気づいていないように見えることだ。